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思弁の世界
 世の中に難しいことはたくさんあるのですが、言葉を聞いただけで難しいと思ってしまうものに“哲学”があります。高尚で近寄りがたい、でも世俗的なこととは無縁であってもどこかで尊敬してしまう、そんな存在が“哲学”です。

 先頃そんな存在である哲学の公開講座に恐る恐る参加してみました。秋田県立大学の総合科学研究センターの主催で、本県に「日常の哲学」を定着させることを目的に開催された「秋田哲学塾」と銘打った講座なのですが、参加してみてびっくりしてしまいました。なんと80名ほどの受講者がいたのです。男女比で7:3、年齢では年配者が6割とやはり多かったのですが、壮年、若年者もそれなりにいて、特定層の限定された人たちだけではなかったのです。

 私は先立つ数日前、魁新聞の文化欄に掲載された「哲学の現在地」という鈴木祐丞(すずきゆうすけ・県立大助教・哲学専攻)氏の書いた文章を見て講座の存在を知り、参加したのですが、もしかしたら同様の人が多くいたのかもしれません。新聞の影響力もまだまだ捨てたものではないようです。

 さてその講座、途中10分ほどの休憩をはさんだとはいうものの、3時間連続の長いものだったのですが、内容的には中途半端な感じがしたのは、一般向けを意識したせいか説明が多かったためだろうと思います。でも受講者の中には他大学で哲学を教えている先生もいて、質問をされたのにはびっくりしました。「哲学とは、様々な問題について哲学的に考え、行き着いた結論について責任を持って生きる生き方のこと。」という説明に、「誰に対しての責任なのか」と舌鋒鋭いのです。「何もこの場で同業に・・・」と思ったのですが、きっと哲学を指向する人にはそんな人が多いのだろうと納得したものでした。

 私とすればそんな突っ込みに真正面から受け止めた論争を期待したのですが、残念ながらそうはならなかったのですが、思わずその場面ではぞくぞくしてしまいました。でも私が哲学好き、論争好きかといえば、自分ではそうでないと思っているのですが、思考を抽象化するということには魅力を感じます。

 しばらく前のことですが、頭が鈍ってきたような気がして、刺激するには哲学書を読めばよいかもと思ったのですが、知識はもちろん、とてもその気力も忍耐力も続きそうには思えず、すぐにパスしたのですが、その時によい解説書があればと探し当てたのが「反哲学入門」(木田元著)でした。それ以来木田元の著書を幾冊か読み感銘を受けたのが私の哲学とのかすかな縁です。

 そんな程度で哲学を語るような資格は全くないのですが、たまには浮世離れで思弁の世界に浸るのも悪くないなと思っています。

by 北嶋 正 ¦ 11:39, Wednesday, Jun 01, 2016 ¦ 固定リンク

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