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振り返る
 振り返るには充分すぎるほどの過去を持った年齢になっているのですが、過去を振り返るということは稀になっています。たまに「昔はどうなっていたのですか」という質問に答えることはあっても、それは振り返るということではなく、単に記憶を呼び戻すことでしかありません。その時の自分に一瞬なりともタイムスリップし、今の自分と並べてみる、そんな体験が過去を振り返ることだと私は思っています。

 最近ある案内をもらい、さらに本が一冊送られてきて、否応なくその振り返りをせざるを得ませんでした。「新木正人君を偲ぶ会へのご案内」という往復はがきが届いたのは先月の下旬でした。彼が亡くなったというのはそれより少し前、友人の電話で知りました。お盆初めの日程で東京まで行っての参加は無理でしたが、その案内に、彼の本の出版記念を兼ねた会だということで本の注文が書けるようになっていました。それで注文した本が数日前に届いたのです。

 「天使の誘惑」(論創社)。本の上梓を待たず病で亡くなったので、帯には遺稿集と記されておりました。もう半世紀近く前のことになりますが、彼(新木)の書いた文章は、ある種の人達にメガトン級の衝撃をもたらしました。60年代の後半から70年代前半のことです。本はその当時雑誌に掲載されたものと近年書かれたものとの二部構成になっており、往年のものが七割、最近のものが3割です。その間に40年以上の空白があるのですが、文章を書いている心情の軌跡はズレなく繋がっているのです。これは驚異的なことです。

 10代の後半から20代の前半の自分を覆っていたものは、今から思うと焦燥感だったと思っています。団塊の世代でしたから、人はあふれていました。世の中は高度成長の真っ只中で、一見明るい未来がありました。でも私を含めた相当数の若者は、その明るさに戸惑い、自分を決められずに苛立っていました。個人の尊重が言われていても、肝心の個人を確定できないのです。必死に支えをつろうともがいているもの、寄る辺を求めて彷徨っているもの、そんな中で彼(新木)は自分の感性だけを武器に駆け抜けようとしたのです。

 実業とか実社会という言葉をわたしたちはしばしば使います。その反対は「虚」になるのですが、そんな区別ではなく、人の感性を起点にすればまた違った実と虚になるはずです。そんなことをおぼろげに思いながら、暫し振り返ってしまいました。

by 北嶋 正 ¦ 17:15, Thursday, Aug 25, 2016 ¦ 固定リンク

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