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下僕生活
 
 「ご家族は?」と聞かれたら、「はい、猫ちゃん4匹と家人と私です。」これからはそう答えようかと思います。一人娘は結婚して独立していますので、それが我が家の現状です。もう少し有り体に言うと、「 4匹プラス1人の ご主人様と下僕の私です。」となるのかもしれません。
 
 なぜ私が下僕かというと、私以外は皆三食昼寝付きの生活を送っているからです。それを支えているのは私=下僕ということになるわけです。当然“人”である家人には反論されます。「私はいろいろ家の仕事をやっていてそんなに優雅ではありません!」この反論には黙るしかありません。何か言えばそれが“口答え”と思われるからです。その状態こそ下僕の証しだとわたしは思っているのですが、“黙して語らず”が下僕の習性です。

 奉仕の精神というと、ライオンズクラブやロータリークラブです。どちらの会にも所属していない私ですが、日々奉仕の生活を送っています。ひと頃は双方の会からひっきりなしに入会の勧誘があったのですが、断固拒否を貫き今に至っています。日々奉仕に徹している私には不要だと、きっと感覚が悟ってそうさせたのです。だからその会のメンバーは、日々の奉仕が不足な人たちの集まりに違いないと今では思っています。

 奉仕は無論無料です。それどころかこちら側が一方的に分け与えることになっています。貢ぎや贈与ということになるのですが、何の為にそうなっているのかはあまり考えたことはありません。そのような役割が自分にあるのだと思い込んでいる、もしかしたら思い込まされているのかもしれません。

 「贈与論」という書物を書いた文化人類学者のマルセル・モースがその著書の中で、「贈与は双方的な関係をつくって他者を受け入れることだ」と述べています。そうすると私の下僕的奉仕も他者との関係を維持するためということになります。少し納得性が出てきましたが、関係性を望む理由がまだ未解明です。「愛情!?」、きれいで魅力的な言葉ですが、我が身に照らすといまいちフィット感が出てきません。

 繁栄を極めた古代ローマは奴隷制に支えられていたということです。奴隷と言っても鎖でつながれているイメージではありません。まさに下僕なのですが、そのローマ時代の奴隷の定義が、「自分の将来を自分で決めることを許されない人たち」だというのです。私の場合、“許されない人”ではないのですが、いろんなしがらみに縛られていますので、“できない人”状態にはなっています。危うく奴隷に身を落とす寸前の境遇ということになります。

 こんな境遇になっている私にだれか同情し、救いの手を差し伸べてくれるかというと、そんな兆しは微塵もありません。第一当の本人にそんな危機感がないのです。「これでよければ、これでよいのだ!」
 三食昼寝付きの面々とはきっとこれからも良好な関係が取り結ばれてゆくはずです。

by 北嶋 正 ¦ 10:33, Wednesday, Jun 21, 2017 ¦ 固定リンク

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