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100Wの思い出
 「便所の100ワット」。久し振りに聞いた言葉です。オジサンたち数名の飲み会の席でしたが、懐かしく新鮮で、皆が盛り上がってしまいました。と言っても、今の若い人たちには何を言っているのか解らないかもしれません。

 その昔、家庭の照明は白熱電球でした。その後蛍光灯が普及するのですが、蛍光灯と比べ、電球が熱を帯び、すぐ切れるのが欠点でした。でも光の質は柔らかく、蛍光灯にはない味わいがありました。

 100ワットの電球は一番明るい電球で、20、40、60ワットと数種類の段階があり、部屋の大きさなどで使い分けていたのです。しょっちゅう球切れしますので、電球も買置きして備えるのですが、たまたま適合する球がないときは、あるものを使うわけです。

 「便所の100ワット」はそんな時に発生するのですが、いつもはほの暗い場所のはずが、途端に白日の下にさらされた状態になるのです。もちろん落ち着きません。「必要以上の性能は無駄」の喩として使われた言葉ですが、あの何とも言い難い居心地の悪さを体験している面々には、100ワットの喩がいと微妙な味を醸すわけです。

 さて興の乗ったオジサンたちの話は、便所(決してトイレではないのです)の深掘りです。何やら臭いが漂ってきそうですが、話題は「落とし紙」に移っています。これもいまの若い人たちには解せない言葉かもしれません。汲み取り式でしたから、詰まる心配は無用で、落せればよかったのです。

 シリの始末ですから高級なものは不要です。再生紙でつくった「ちり紙(これも古語になっているかもしれません)」はむしろ高級品で、一般庶民は主に新聞紙を8分の1程に切り揃えたものを使っていました。ごわごわするので破らないように注意しながら手でもんで柔らかくして使用します。用が済んだ後に手を見ると、新聞紙のインクで手が黒く汚れておりました。

 「お前のケツは今でも黒いだろう?」「ケツの黒さが腹の方に染み込んで、腹黒になったのはそのせいだろう!?」などと、オジサンたちの話はどんどん深化してゆきます。下々のネタは尽きなくなるのです。

 こんな話で盛り上がれるのは、理解ができる共通のベースがあるからです。同じ時代や同じ環境は一番手っ取り早いベースです。でもそれだけに頼ると、そこから外れた人たちとは理解不能になります。だからいろんな共通項を探りながら人は普段あれこれ関係を取り結ぶわけです。

 でも「100ワット」で反応する面々にそんな手間はいりません。さて、その後のオジサンたちの下々の話がどう展開したのか。「落とし紙」から先は落としどころを間違え、深い闇へと一直線、あとはもちろんシリ切れ蜻蛉です。

by 北嶋 正 ¦ 18:45, Monday, Jun 26, 2017 ¦ 固定リンク

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